乾絵美

獲得メダル
 日本
女子 ソフトボール
オリンピック
2004 アテネ
2008 北京
世界選手権/ワールドカップ
2006 北京
アジア大会
2006 ドーハ
USAワールドカップにて (2006年)

乾 絵美(いぬい えみ、1983年10月26日[1] - )は、兵庫県加古川市出身の女子ソフトボール選手(捕手[1]。元ソフトボール日本代表。現役引退後の2020年から、女性およびトップレベルのソフトボール経験者としては日本プロ野球(NPB)で初めてのスカウトを、オリックス・バファローズで務めている[2]

経歴

神戸常盤女子高等学校を経て東海学園大学へ進学していたが、19歳の時に、家庭の事情で大学を中退。東海学園大学女子ソフトボール部の監督を通じて、「日本国内女子ソフトボール界の強豪」とされるルネサステクノロジ高崎(ルネサス高崎)への入部を願い出たところ、入部を認められた。学生時代はソフトボールで顕著な実績を残していなかったものの、「上野由岐子(自身より1歳年上の投手)が投じる剛速球を受けられるほどの捕手が足りていない」というチーム事情を背景に入部したため、ルネサスが加盟していた日本女子ソフトボールリーグでは入部1年目の開幕戦から上野とバッテリーを組んだ[3]

さらに、ルネサス高崎で上野とバッテリーを組み続けたことが高く評価されて、オリンピックのソフトボール競技にも日本代表チームの一員として2004年のアテネ大会2008年の北京大会へ上野と共に出場[4]。アテネ大会では、控え捕手ながら銅メダルを獲得した。北京大会では正捕手として、上野とのバッテリーで代表チームの金メダル獲得に貢献。長年の宿敵であるアメリカ代表チームを決勝で下した瞬間には、ベンチからマウンドへ真っ先に駆け寄ると、完投勝利を挙げた上野を肩車で担ぎ上げた。日本代表チームの優勝を伝える日本国内の報道では、このシーンを収めた写真が大きく取り上げらた[3]

北京オリンピック終了後の2008年秋には、日本代表チームの一員として、日本政府から紫綬褒章を授与[5]。さらに、この年からルネサス高崎で主将を任されると、チームを(日本女子ソフトボールリーグ・全日本総合女子ソフトボール選手権大会を含む)「国内三冠」に導いた。当初は2008年シーズンをもって現役を退くことを決めていたが、ルネサス側からの慰留を受けたことをきっかけに翻意。「今までは自分のためにプレーへ臨んでいたが、最後は会社やチームのためにプレーをやり切ろう」との想いを持ちながら、翌2009年シーズンも現役生活と主将を続けた。結局、この年もチームが「国内三冠」を達成したことから、シーズンの終了後に現役を引退[3][4]。本人は後に、「技術だけで(ソフトボールを)やってきた選手ではない(ことを自覚している)ので、(ソフトボールを)辞めてからのことは何も考えておらず、『(ソフトボール)チームや学校の(ソフトボール部の)指導者になる』というイメージも持てなかった」と述懐している[3]

その一方で、オリックス・バファローズでは2010年から、小学生向けの野球教室(オリックス・ベースボール・アカデミー)を運営することを計画。運営の開始に際して「野球かソフトボール経験のある女性のスタッフ」を探していたことから、「(アカデミーの拠点を設ける)兵庫県の出身で、ソフトボールのオリンピック金メダリスト」という乾に白羽の矢を立てた。「祖母が大窪寺香川県)の門前で営んでいる民宿を、当面の間手伝うことを検討していた」という乾もこの打診を受諾したため、翌2010年にオリックス・バファローズの球団職員へ採用[3]2019年までは、地域振興部に所属しながら、「オリックス・ベースボール・アカデミー」のコーチとして来田涼斗[6]野口智哉[7]池田陵真[8]といった小学生を指導していた。

オリックス・バファローズでは、2020年1月1日付で、球団編成部のアマチュアスカウト(関西地区・静岡県担当)へ異動[2][9][10]。本人によれば、「『(前年まで10年間続けてきた)地域振興部での仕事に区切りを付けよう』と思っていた最中に、編成部の副部長から『(ソフトボールの選手として)世界(大会)で感じたことや、(アカデミーコーチ時代までに)経験したことを、今後はスカウトの立場で生かして欲しい』と急に言われたので愕然とした」とのことだが、「(ソフトボール選手時代の恩師に当たる)宇津木妙子宇津木麗華に相談したところ、『(スカウトを)やってみたら!』という一言で背中を押された。ただ、いずれは(前述した)民宿の経営を祖母から引き継ぎたい」という[3]

アマチュアスカウトへ就任してからは、選手を視察する際に、「野球道具の扱い方」や「試合中の雰囲気(打席に入るときの目つき、相手に向かっていく姿勢、マウンドでの立ち居振る舞い、ベンチにいる時の姿や表情など)」を重視[3]。関西地区と静岡県を担当していた時期には、2020年の来田[8]を皮切りに、野口[7]と池田[8]をトップチーム(オリックス・バファローズ)への入団に導いた[7][8][11]2022年から、(香川県を含む)中国・四国地区の担当へ異動[4]2024年シーズンには、英明高等学校(香川県内の私立高校)に在学していた寿賀弘都を育成選手契約で入団させている[12]

詳細情報

[13]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “男社会で戦うNPB初の女性スカウト ソフトボール独自の「眼」で見出した来田涼斗 - プロ野球”. 日刊スポーツ・プレミアム (2022年10月21日). 2023年4月22日閲覧。
  2. ^ a b “オリックス、球界初の女性スカウトは北京五輪金メダリスト 人事異動発表”. デイリースポーツ (2019年12月26日). 2019年12月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 乾 絵美『2度のオリンピック出場から、プロ球団女性初のスカウト担当に』(スポーツサポートコンソーシアム公式サイト内のインタビュー記事)
  4. ^ a b c “光を浴びて-栄冠からの物語【1】五輪ソフトボール金・乾絵美さん 世界での経験、球界に生かす|東播”. 神戸新聞NEXT (2023年1月1日). 2023年4月22日閲覧。
  5. ^ “紫綬褒章の受章者”. 47NEWS (2008年11月2日). 2015年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月7日閲覧。
  6. ^ “オリックス3位来田「縁」乾スカウトは6年前コーチ”. 日刊スポーツ (2020年11月2日). 2020年11月2日閲覧。
  7. ^ a b c “オリックス2位の野口 球団との縁に感激 オリックスジュニア時代のコーチ乾氏が担当スカウト「恩を感じている」”. スポーツニッポン (2021年10月12日). 2023年4月22日閲覧。
  8. ^ a b c d “オリックスがドラフト5位・池田陵真と仮契約 目標は2年連続首位打者の吉田正尚”. BASEBALL KING (2021年11月26日). 2023年4月22日閲覧。
  9. ^ “オリックス、球界初の女性スカウト任命へ ソフト元日本代表”. 毎日新聞 (2019年12月26日). 2019年12月28日閲覧。
  10. ^ “ソフト北京五輪金の乾絵美氏、球界初女性スカウトに”. 日刊スポーツ (2019年12月26日). 2019年12月28日閲覧。
  11. ^ “オリックス3位明石商・来田「トリプルスリー」目標”. 日刊スポーツ (2020年12月3日). 2020年12月4日閲覧。
  12. ^ 「オリックス育成1位、英明・寿賀選手「プロ実感持てた」」『読売新聞関西版』2023年11月4日。2024年6月19日閲覧。
  13. ^ 乾絵美 JSL

外部リンク

  • 乾絵美 - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
  • 日本オリンピック委員会 - 乾絵美
日本の旗 ソフトボール日本代表 - 2004 アテネ五輪 33位 銅メダル
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
日本の旗 ソフトボール日本代表 - 2008 北京五輪 11位 金メダル
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
JOCスポーツ賞最優秀賞
1990年代

91: 荻原健司河野孝典三ヶ田礼一 • 92: 古賀稔彦 • 93: 浅利純子 •
94: 阿部雅司河野孝典荻原健司荻原次晴 • 95: 田村亮子 •
96: 恵本裕子 • 97: 該当者なし • 98: 船木和喜宮平秀治原田雅彦 • 99: 篠原信一

2000年代
2010年代
2020年代

20: 中止 • 21: 高木美帆 • 22: 橋本大輝 • 23: 北口榛花

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